バラと青年

 

 

 第一章~桜~ 3/5

それは、小さな町はずれの病院の中であったちっぽけな話。
枯れいく薔薇と死に逝く青年と二人は出会った。
枯れいく薔薇なんて、誰も見向きもしなかった。
他の薔薇の片隅で、どんどん萎れていく薔薇。
もう、枯れるしかない…他の薔薇が、小さな花を咲かせる中でその薔薇だけは、新しい葉っぱですら生やす事が出来なかった。
そんな薔薇を、世界中で唯一見つけてくれたのが、その青年だった。
「………大変だ」
青年はそう云って、その細く白い指でせっせと土をかき集める。力のない動きで必死に集めていった。青年は必死だった。
それから、次の日。青年は、病院の中で花好きで有名な人に出会って肥料を貰って、薔薇にあげた。
そして、自分が使っているコップに水を汲み薔薇に水を与えた。青年は薔薇が枯れないように、懸命に水をあげ続けた。コップはやがて小さな、じょうろになり、かき集めるばかりだった土は栄養の高い土に肥料を混ぜたものになった。そうして、青年はその薔薇を必死に育てていた。
 
 
「ねぇ…葵君」
「…なんでしょうか?」
朝の検温の時間、いつもは僕に話をしない看護士さんが、話しかけてきた。色々な看護婦や医者がいて、確かにこうして話しかけてくれる人がいたけれども、こうして仕事中にこの人に話しかけられるのは初めての事で…少し驚いた。
「最近楽しそうね、何かあったの?もしかして、いつも庭に出ているのと関係ある?」
「えっと…薔薇を育てているんですよ」
「薔薇?」
と、首を傾げる看護士さん。
「えぇ、中庭の花壇にあるんですけどね、枯れかけてて……」
「それで、手入れしてるわけね。葵君にそんな趣味があるなんて知らなかったな…。好きなの、薔薇?」
「いいえ…好きですけど…。大好きって訳じゃないですよ」
「へぇ…じゃぁ、何で?」
その当然の質問に僕は一瞬とまどった。あまりいい事を思っていなかったので考えていなかった。でも、僕は心の内にある言葉を少し隠すべきだった。
自分の内心をいつも云えない自分が、もどかしい時もあったけど、今は心を隠したかった。
「……僕に似てたから」
「えっ?」
「………それだけです」
「そ……そう、そうね!薔薇ってお手入れが難しいけど、きちんと手入れすれば綺麗な花が咲くものね。葵君だって、病気を治すのは難しいけどきちんと治して元気になるのよね」
少し、慌てた声を出してから看護婦さんは明るく云った。その気遣いが少し痛々しかった。ズキリと胸を刺す痛み。本物の痛みだったら慣れているのにどうもこういうものは苦手だ。
「そうですね」
作り笑い。これは僕の得意技。
技っていうほど大したものではないけれども、いつの間にか体得していた。
本当はしっている、僕はもう…長くはないってこと。だから、僕はあの枯れかけた薔薇が自分に見えた。枯れいくだけの、誰も手入れをしない薔薇。ただ、死んでいくことだけを物語る、萎れた体。そう云うものが、全て自分に見えた。助けてあげたい。
そう思った、自分が死んでしまうように、その薔薇には枯れてほしくなどなかったから。
 
 
少年には大きな夢があった。僕はね、大きくなったらお医者さんになるんだ。そういうと、母親は優しく哀しげな瞳で微笑んだ。
昔から病院に居る事が多かった少年にお医者様は、まさしくヒーローであった。
少年には、それなりの夢があった。皆みたいに学校に通いたい。そうおもえど、誰に云う事も出来なかった。
昔から入院ばかりしていたけれども、自宅にすらいられなくなってしまった。
少年には小さな夢があった。学校に行きたいよ。お医者さんに、泣き喚いてしまった。昔みたいに、学校に行くことすらできなくなった。
少年は夢を持つことをあきらめてしまった。かつて少年は何度も何度も、夢を持った。
けれどもその夢達は、病気が進んでいくたびに命が削れる音とともにガラガラと崩れ去った。
夢を見る事を忘れてしまった青年は願った、どうか形だけでも学校に残りたいと。そう思うけれども、その願いは届かない。
願いも叶わないと分かっていたけれどもう一度、外の世界で自由に歩きたい。
青年は願いを思うだけで満足していた。
青年の望みは自分に出来る精一杯をする事になった。自分が動ける範囲で、青年は生き続けた。小さなことでも、誰かの為に動いた。そんな時に、あの薔薇を見つけたのだった。枯れかけた薔薇を元気にする事が青年の願いになった。薔薇は、少しづつ元気になった。その薔薇に綺麗な花をつける事が青年の夢へとなっていった。
 
 
 
ずっと世話を続けて居た薔薇は、今では青々とした葉っぱを付けて、以前に比べて随分と元気になっていた。
だけれども現実は残酷で…変わりに、長時間外で作業を続けた体は弱っていた。
まるで、必死に世話を続ける自分の命を吸い取って薔薇が元気になっているみたいだと思った。
本当は、もっとまめに続けたかったのだけれども、中々体が許してくれなかった。
無情にも病魔が僕の体を蝕む。
それはとどまる事を知らなくて、ついには歩くことすらままならない日も、でてきてしまった。それでも、体調のいい日は薔薇の世話をした。
どうしても、あの薔薇の世話がしたかったんだ。その代償とばかりに病気は深刻な状態になっていく。
そうしてもう取り返しのつかない所まで進んでしまっていた。その時はいつもみたいに、発作が起きただけだと思っていた。
だから、あの苦しい発作が治まるのを胸を押さえつけて耐えた。喉が張り裂けそうで、胸がつぶれてしまいそう。
そんな苦しみを、味わいつづけてきたのに、その時の苦しみは、とても今までの比ではなかった。
咳に交じって、込み上げてくる物を感じた。近くの洗面台に吐こうと思ったが、堪え切る事が出来なかった。
だから僕は、とっさに口を押さえた。手の隙間からポタポタと血がこぼれおちた。その喀血が治まっても発作は続いていた。
僕は、あまりの苦しさに何も考える事も出来ず生暖かく湿ったシーツに顔をうずめて発作が治まるのをまった。それでも発作はなかなかおさまらなかった、意識もはっきりとしない。それでも、なんとかしなければと気力を持ち続けた。それから僕は、それをぬぐうとやっとの思いでナースコールを押した。
やっぱり病気は確実に進行していた。それなのに、今までと同じような治療しかされなかった。僕はそういう人を知っている、末期癌の患者。
もう死ぬしかないのならば、抗癌剤を使わないでただ死ぬのをじっと待つ。
所謂ホスピスケアというものだ
それと同じだろうと…。だから、僕は悟った。もう……僕はこのまま死ぬのかな?
 
 
 
 
月夜の晩。月明かりに照らされた薔薇は、そよ風に葉を震わせていた。
そのこすり合わせる音は、まるでその薔薇の囁きの様であった。
薔薇は、心から願っていた。
『どうか、彼を助けてください。私を助けてくれた彼を……』
その願いをまるで、物語っているかのように葉はさわさわと揺れていた。薔薇は願い続けた。そんなとき、夜空に一筋の流星が通った。
とても月の綺麗な夜であった。
 
 
 
空が、とても綺麗な色をしていて…思わず外に出たくなった。
「あの……外にでても…」
「駄目よ! 何云ってるの?外出は禁止です……部屋で大人しく寝ててね…」
云い終わらないうちに、ピシャリと跳ねのけられてしまった。
どうやら、僕の体はもうボロボロらしかった。外出禁止をくらった後は、必ず高熱が出たり発作が止まらなかったりと良くない事ばかり起こしてしまう。
そういう時は、かなり体力が弱っている時と言う事だ。
特にだるさなどを感じないのに外出禁止だなんて、今までになかった事だ。
もう僕の普通はどうやら最低なレベルのものなんだと思う。
今は大丈夫でも、直ぐに最悪の状態になる。
その直ぐと言うのは本当にちょっとのことで、おそらく一般の人にしたら些細なことなんだろう。
我ながら、悲しくなるばかりだった。
そう思うと余計に、こんな日にこうして部屋に居るのは退屈でたまらなかった。
こんな風にみじめになるくらいだったらいっその事、無理をしてそのまま死んでしまいたかった。
大輪の花を咲かせて直ぐに散る薔薇のように。
そんな事に思いをはせているのも馬鹿馬鹿しく思えてきて…ついに僕は脱走を決意した。よく安っぽいドラマでいう、どうせ死ぬんだったらなんとやらの気分で…もし死ぬかも知れなくても、好きな事をしたいのだ。
そんなドラマと違う事は一つだけ、本当に自分が死ぬかもしれない事。
安っぽくて馬鹿馬鹿しい行動で本当に死ぬかもしれない。
それだけはドラマじゃなくて現実だった。
看護士さんはいつものように、僕の体温と血圧をはかると、部屋を出て行った。
過去に行った脱走のコツを頭の隅から掘り起こす。
余裕をみて、たっぷり10分。今ならもう、看護士さんはいないだろう。
足元に置いてあるサンダルに足を通し、あまり音をたてないようにしながらそっと忍び足。
 
それに、スリリングな脱走劇自体も結構楽しいものなのだ。

きっと体に無理であっても心が晴れやかなら、最終的には自分の為になる。
医学的な根拠はないけれども、僕の中ではこれ以上ないくらい正しい論理だった。
気持ちを我慢するストレスは、外の空気より体によくないってきくし。
あっていると思う。多分。
そんな事を考えていると、漸くナースステーションにお客様がお出ましした。今がチャンスとばかりにそそくさと前を通る。
そこをすぎれば後は簡単。5分もしないうちに中庭についた。
さぁ、早く薔薇の世話をしよう。しっかりと持ってきたじょうろに水を汲み薔薇の元へと向かった。
 
 
 
そこで珍しい事が起こった。思えば、あんな気分になったのはもしかしたらこの出会いを起こさせる奇跡だったのかもしれない。
いつもみたいに水をあげて、周りの草むしりをした時だった。
視線を感じて後ろを振り向くと僕が育てているあの薔薇をじっと見つめる女の子が一人いた。年は、10歳くらいの女の子でショートボブの髪だけど、一部を高い位置で結んで二つ結びができている。
その二つ結びだけ妙に長い変な髪形の女の子だった。それでも彼女があんまりにも真剣に薔薇を見詰めてくれているので、そんな事は気にならなかった。
「…………もしかして……薔薇…好きなの?」
「………」
女の子は答えなかった。少し不機嫌そうな顔でこちらをじっと見つめただけだった。
「……あっ、急に話しかけてごめんね………」
「……うぅん」
すぐに首を横にふった。とても小さな声だったがその声はとても嬉しそうに聞こえた。
「……薔薇、好きなの?」
「…………。………お兄さんは?」
「えっ!? 僕? 僕は………」
云われて困ってしまった。云われてみると僕は、特別薔薇が好きだと云うわけでも無かった。でも、この薔薇だけは違う。とても大切なものだった。だから…
「えっと……薔薇が好きって訳じゃないよ……でも、」
話を続けようとしたが、少女が今にも泣きそうな顔をするので一瞬とまどってしまって、変な間が出来てしまった。
「でもね、この薔薇だけは特別。とっても、大切に思ってるんだ。変な話だけれどね」
「…………」
少女は何もいわなかった。さっきと同じつまらなそうな、とても無機質な目にもどってしまったので、とっさに話題を変えた。
「今日は、誰かのお見舞いに来たの?お母さんかお父さんと一緒?」
「…違う」
「じゃぁ……もしかして、あの子たちと一緒に来たの?」
僕は、広場でボールを蹴って遊ぶ子供たちを指差した。
「違う!」
今度は少し強い口調で言い返された。
「……ごめん」
「……………いいよ」
少女はそれだけをいった。
なぜかこの子に対してあっちで、さぞかし楽しそうに遊んでいる子とは少し違うように思えた。僕は、この子に不思議な魅力を感じた。
「……そう云えばまだ名前を云ってなかったね、僕は『葵』だよ。君は?」
「……私は」
少女は、何も云わなかった。代わりにボールで遊ぶ少年たちをじっと見ていた。それから、暫くして小さな声で答えた。
「………まり」
「えっ?」
「…茉莉」
「あぁ、茉莉って云うんだね。宜しくね、茉莉」
「………うん」
茉莉は小さくうなずいた。それから、何も云わずにすとんと腰を下ろしてじっと薔薇を見詰めていた。だから、僕も隣に座り込んで黙って薔薇を見ていた。言葉は何もかわなさかったけれども、変わりにもっと別の何かが交わされていた気がする。


不意に。
それはやってきて。
とても、苦しくなった。
そう、これは。
頭で理解できない。
頭が働かない。
けれども、身体で理解する。
これは、発作だ。
息ができない。
胸が苦しくてたまらなかった。
こんな痛みを受けるぐらいならいっそ死んでしまいたいとまで感じた。
でも、不思議な事に茉莉が背中をさすってくれると一気に楽になった。
なんだか、魔法にかかったようだった。
「…ごめっ……」
「…大丈夫。大丈夫だから」
無機質な声がとても優しく思えた。


それからしばらく、僕は病室からの小さな脱走劇を毎日のように繰り返した。
時たま、高熱を出して寝込んだりもしたけれども…。
それでも出来る限り通い詰めた。
病気の事は、それどころか名前以外自分たちの事は一切口にしなかった。

それが僕たちの暗黙のルールだった。



茉莉に会う事が何よりも楽しかったからだった。


ある日のことだった。
「……あ! こんな所に、いたのね葵君!!駄目じゃない、病室を抜け出したら!!」
大きな声で、看護士さんが近付いてきた。かなりご立腹のようだった。荒い息の溜息とすするどい視線で僕を責めていた。かなり怖い……。
たった10数分程度のこの時間なのに運の悪い事に見つかってしまったのだ。
「……ごめんなさい」
「もう、まったく……。かえったら、お説教よ」
そう云って看護士さんは、僕の腕を掴んだ。そして、そのまま僕を引っ張っていった。
僕は仕方なく病院へと歩いて行った。どんどんと茉莉が遠ざかる。
「また、会えるかな?」
「……待ってる」
茉莉のあの小さな声が聞こえて僕は微笑んだ。
「…葵君どうしたの? にやにやして、そんなに脱走したのが嬉しかったの?ここは、こってり絞らないといけないな…」
「えっ!? そ……そんな」
「いいえ、抜けだしたのが悪いんです。全く…どれだけ心配したと思ってるの?今日は、大事な話があるから、病室に行ったらいないから、吃驚しちゃったわ。トイレにしても10分以上も帰ってこないし…」
「あはは……」
適当に笑ってごまかしていた。確かに、抜けだす事は悪い事だけれども、茉莉と会えたらまったく罪悪感はなかった。その事を比べたら、こっぴどく叱られるくらいどうでもいいと思えた。怒られている時でさえ、笑いが止まらなかった。
怒られたのが終わった時であった、お医者さんがとても深刻な顔をした。
先程までとは違う、輝きにみちていて…少し怖いほどであった。
「あの…」
「なん……でしょうか?」
「ようやくね、執刀医が見つかったのよ…」
思いもよらない言葉だった。
その言葉には、明らかに喜びってものが含まれていて…。
そういえば、病院の人から明るい話を聞くのは久しぶりだ。
でも、そのために莫大なお金がかかる事を 僕はしっていた。
両親は、こんな欠陥品の為に必死で、働いたのだろうか?
そう、思うと素直に喜ぶ事が出来ないような気がした。
でも、そんなのは今ある現実を中々受け入れられないから、心が作り出した単なる逃げ道で…。
嬉しいのかもしれない。
今までだったら、そういう両親を思うとうれしくなくても笑わなければいけないという矛盾に胸が押しつぶされそうだったのに…。
苦しくはなかった。でも、なんだかとても寂しかった。
だから? どうして? 何故?
誰かの、笑顔が見てみたくなった。
「…えっ」
「驚いた?」
「…えぇ、随分と。信じられません…」
「大丈夫よ、もう。葵君の為にね…多くの人が寄付をくれたから、御金のことも大丈夫だし…。葵君…良かったわね」
寄付?
世界の温かみを感じた。
それは、個人にとって小さな光だったけれども…何千何億の光があつまって、確かに…そして大きなぬくもりで眩い塊となっていたのだ。
今なら、素直になれるかもしれない。
「………あ、葵君!?」
「…生きたい…」
泪がボロボロとこぼれおちた。
そんな、僕を見て看護士さんは随分と戸惑っていた。そうか…人前で泣いたのなんか…何年振りだろう。とても、心が洗われる気がした。誰にでも与えられる権利。でも、僕には半分くらいしか無い。ただ、単純な願い。それでも、強く願った。
「生きたい…生きたいんだ……。死にたくない……」
苦しい。泣くと、胸が苦しくなる。それでも、僕は泣くのをやめたくなかった。
「…うん、そうだね。……そうだね」
そういって、そっと背中をさすってくれる看護士さんの手が、とても温かく思えた。
 
 
 
その日は少し、寒い日だった。明日は、手術。だから、普段の景色がいつもと違うものに感じた。胸に沁み込む空気がとても、冷たい。そんな空気が肺を圧迫して、息苦しい。でも、とても気持ちのいい朝だった。そんな朝は、中庭に行きたくなる。移植手術の話が出てから、僕は病院の中から出ていない。だからなのか、中庭に行きたいという気持ちを、あっさりと行動に移す事が出来た。だから、病室のドアを開けてちゃっかりと、抜けだした。ごめんなさい、看護士さん。大丈夫、今日はわりかし調子がいいので、どうか許して下さい。
そして、中庭にやはり彼女が居た。彼女の白く儚い印象が周りの景色とよくあっていた。まるで、彼女もその一部かのようだった。彼女はいつもと同じ、あの薄着を着ていた。
ここは気を利かせて紳士みたいに風邪をひかない様にとでも声をかけようと思った…だけど。
「…あ、茉莉おはよう」
と、わずらわしく普通のあいさつしか出来なかった。我ながら、不甲斐無い。
「………うん」
少し声が上ずってしまったかもしれない。いつもどおりの、そっけない返事。
いつもなら気にしないその態度に、少し胸がズキリと痛んだ。
「ねぇ、葵?」
「……何かな?」
「………頑張って」
頑張って? 僕は、彼女に何を聞こうとしているのか問おうとした。しかし、すぐに悟った。…知っている。茉莉は、知っているのだ。
「うん、そうだね」
「葵。…ねぇ、また茉莉に…、」
彼女はそこまで云うと口を噤んでしまった。今日は、不思議な日だ。
いつもは全くと云っていいほど分からない茉莉の心が手に取る様にわかった。
「また、会いに来るよ。絶対に」
会いに来る。それは、普通の人にとっては、当たり前のことかもしれない。
けれども、もしかしたら僕には出来ないことかもしれない。
もうすぐ死ぬかも知れない。
もしかしたらなんて、優しいものじゃなくて…死んでも可笑しくないのが現実だった。
でも、今の言葉を嘘にしたくはなかった。
「……うん。……嬉しい。でも、茉莉は……心配」
「……」
茉莉の綺麗な瞳が、こちらに向けられて悲しげに濁った。あぁ、胸が痛い。これは、病気のせいでも、体調のせいでもない…。それでも、とても胸が痛かった。
「………弱ってる。茉莉には、わかる……。ねぇ、葵?」
「……なんだい? 茉莉?」
「…葵は、苦しそう。辛そうなの。それがわかるから、茉莉はとても悲しいの…。葵の事が心配だから、とても悲しいの…」
そういうと、茉莉はその小さな瞳を潤ませた。そこから真珠のような粒が落ちていく。そう思うと、一層胸がくるしくなった。
「ごめん、ごめんよ…茉莉」
僕は、彼女の細い体を少しだけ引き寄せて背中をそっと摩った。彼女につられて、いつの間にか
「…ごめんなさいは……茉莉の方」
「ううん、ごめん。泣かないでよ、茉莉…。お願い…」
「なら茉莉もお願いをしたい。……茉莉の願い。……。かなっていない。……でも、それを壊しているのは茉莉………だから、葵は悪くない」
正直僕には、彼女が何を云いたいのかわからなかった。ただ、彼女が一生懸命に思いを伝えようとしている気持ちだけがわかった。そんな、気持ちが嬉しい。そして、とても愛おしかった。
「……茉莉? 謝るのは、やめにしよう」
「……うん」
そういって、茉莉の小さな体から手をそっと離した。
「葵、どんな事があっても……きっと、大丈夫」
「え?」
「茉莉が……」
その先の答えを知ってはいけない気がした。

消えた言葉を探りたい気持ちはとても大きかったのだが…

僕はそれ以上聞けなかった。いままで、茉莉の考えがすぐに分かっていた。でも、今の僕にはそれが分からなかった。まるで靄がかかったかのように。かすんでいた。
今辺りは、朝霧が濃くなっていて僕の心を表しているかのようだった。
 
 
 
 
それから僕は、不思議な事に出会った。堕天使と名乗る少女が下りてきて、僕を連れまわす。そして、彼女は僕の願いをうけいれようとするのだ。今の僕の願いは一つだけだった。
「どうか、茉莉の笑顔を見せてください」ただ、それだけだった。
 
 
 
私には、わかる。あの人の運命が。枯れは果てて、朽ちていく。私の運命がそうであったように…彼も同じ運命を歩んでいたのだ。だから、私はそんな彼にお礼がしたかった。恩返しがしたかった。もしも、私を人間にしてくれたきまぐれな神様がいて、何か願いをかなえてくれるのならば、私は願おう。
「どうか、彼を生かしてください」そのためならば…。私は死んだって、構わないから。
 
 
 
 
 
 
ねぇ?神様。
もしも居るのでしたら

この儚い願いをこのちっぽけな夢
 
どうか叶えてください。



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