~天使の微笑み、悪魔の囁き~

~天使の微笑み、悪魔の囁き~

 
 
誰かが云った。
とても、無責任な言葉を。
それは、僕を褒めた言葉だった。
そしてそれは、僕を着飾った言葉だった。
優しいねとか、気がきくんだね、なんて偽善的な言葉をかけられることも少なくなかった。
それは、嘘偽りなんだと思う事で、なんとなく乗り越えてきた。
その言葉の重圧に僕はいつも耐えかねていた。
何故少しばかりの気遣いで聖人君主のように扱われなければならないのか?
そんな疑問符がいつも、頭の中を渦巻いていた。
僕は、そんなに立派じゃない。
馬鹿みたいに、もがいて、くるしんで…いつでもせいいっぱいなのだ。
狂おしいまでに、誰かを、全てを、人を愛しているのだ。愛していたいのだ。
だから、そのために僕は必死になって誰かの為を祈る。
そんな汚らしい心を、誰かが褒める度に重荷となっていったのだ。
 
 
誰かが云った。
君は天使みたいねと。
その言葉は、今までのどんな薄っぺらな賞賛とは比べ物にならない位に重いものだった。
自分がとても嫌いだった。
いつも、心の中では誰かに取り繕うとする悪魔のように感じていた。
自分のいやしい心が厭だった。
それがいつか、誰かに見られてしまいそうで怖かった。
そんな事を吐露してしまえば、嫌われてしまうのではないかとおびえていた。
だからこそ、いこじになってもっと人の為を思って生きてきた。
天使の微笑みを向ける、心は悪魔のささやきに満ちていた。
僕は、誰かを救う度にその矛盾で胸が張り裂けそうになった。
僕は、誰かの感謝の度にその相違で心がぐちゃぐちゃにかき乱された。
本当は、褒められたいと願っているのに、それをされてしまうとどんどんと苦しくなっている。
もっともっと、自分の本質を見抜いてほしくなった。
だから、もっと頑張れば頑張るほどに、願いとは裏腹の印象を与え続けた。
 
 
誰かが言いだした「まるで天使のような人」は僕の周りにあふれ出した。
その言葉に、周りが賛同し始めたからだ。
やがて、なにか困った時には誰しもが僕を頼るようになっていった。
それは、嬉しい事ではなかった。
ちっぽけな僕の心はそれに耐えきれなくなっていった。
だから、僕は…。
 
―天使になろうと思ったんだ
 
一人。屋上で。
僕は、空へと飛び出した。
重力に倣った、飛行。
心の弱さが行わせた、逃避行。
羽ばたいていくのは、眼前に広がる青空だろうか?
それとも、目をつむれば見えてくる、綺麗なまっしろい空なのだろうか?
 
 
それは、僕の心をとても浮かせていた。
だって、誰かが云ったじゃないか。
僕は天使みたいだって。
天使は空を飛ぶものだろ?
だから、飛び出したんだ。僕にはその翼が無かっただけで…天使は空を飛べるものなんだ。
小さい子に聞いたって、すぐに帰ってくる当たり前の答えだった。
僕は空へと飛び出せて見せた。
だって、君たちは云っただろ?
僕が、天使だって…。
 
 
けれども、僕は天使じゃないから空なんて飛べるわけがないんだ。
天使と呼ばれていた少年は、やがて完全なヒトでもなくなる。
地面を這いつくばって生きるしかできなくなった、哀れな生き物。
だから、小さなことからこつこつとまた何かを頑張ろうと思った。
それなら、きちんと生きていこうと思った。
きちんと生きるには何が一番か考えて、すぐさま「勉強すること」だと気がついた。
きちんと勉強できる人は偉いって、小さな子供でも知っているから。
今日も僕は、車輪を回して学校に行く。



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